「ねぇ、聞いてる?」
女子生徒の甘い声も上の空。
「聞いてるの?」
メリエムの声が重なる。
「明日、私達は帰るのよ」
「それはありがたい」
心底嬉しそうな瑠駆真の顔に、メリエムが口を尖らせる。
「そんなに人を怒らせて、楽しい?」
「楽しいね」
そう告げて、だが心のどこかが痛い。
他人を侮蔑し、蔑み、怒らせて笑う。そんな美鶴を、瑠駆真は変えたいと思う。
英語の成績が落ちた原因を、理不尽に瑠駆真へ擦り付ける。
責められるのはかまわない。
いや、正確には、全く気にしていないワケではない。
ただそれよりも、そうやって卑屈な行動しか取ってくれない美鶴に、苛立ちを感じるのだ。
自分もそうだ。まだ、変わりきれていない。
だが、美鶴と一緒なら―――
そう思うたび、身体全体に幸せと気怠さが満ちる。
そうだ、美鶴さえいれば、他には何もいらない。
財力も地位も、権力も―――
「王家? ラテフィル?」
母が死んだ後、突然現れた中東人。彼から告げられ、瑠駆真は唖然とした。唖然としながらも、気持ちは高ぶった。
すごいっ!
僕が、王族?
その意味すらも理解せぬまま、瑠駆真はアメリカ行きを決断した。
もし僕が砂漠の王様になれたら、そうしたら大迫さんを迎えに来よう。
僕を苛めたヤツらだって、見返してやるんだっ!
すごいぞっ!
まるで地に足のついていない夢物語を勝手に描き、意気揚々とアメリカへ向かった。
だが、待ち構えていたのは厳しい現実。
言葉の通じない社会への順応と、膨大な量の学習項目。
ラテフィルは王制だ。それも王家の力はかなり強い。
政府関係者のほとんどを王族が占める。王の息子や親族がそれぞれ政府官僚となり、内政外政をこなしている。
現王の第一王子である瑠駆真の父・ミシュアルは、主に外交関係を担当している。
第一王子ということは、すなわち皇太子ということになる。次期ラテフィルの国王となるべき立場の人間。
そのミシュアルの息子ともなれば、立場はそれなりに重大だ。
ラテフィルは、宗教の自由を認めてはいる。だが、イスラム教徒が多数を占める国にあって、その内容くらいは知っておくべきだろう。コーランも勉強しなくてはならないし、それ以前にアラビア語が読み書きできなくてはならない。
英語ですら心許ない瑠駆真にとって、地獄のような内容だ。日本で言うなら帝王学にあたる教育も受けなくてはならない。
さらに、なぜラテフィルではなくアメリカへ連れて行かれたのかという疑問には、ほどなくして答えが出た。
自分の存在は、ラテフィルでは隠されている。
時折父の部屋から聞こえてくる、自分の名前や母の名前。
自分は、望まれてはいない。
慣れない土地と、知らない人達。
弱い瑠駆真が、耐えられる環境ではない。
権力なんていらない。お金なんていらない。父親なんていらない。
こんな辛い思いをするくらいなら、王族になんて、なりたくないっ!
唯一日本語で言葉を交わしてくるメリエムの存在すら、疎くなった。
「少しずつ進めればいいわ。今すぐに、何か仕事が与えられるワケじゃないもの」
優しい言葉が、逆に腹立つ。
何だよコイツ? 猫撫声なんか出せば、僕が機嫌を直すとでも思ってるのかよ?
そもそも、なんでこんな黒人が父さんのそばになんかいるんだっ? やたら父さんにも詳しいみたいだし。
過度のストレスが、下卑た疑いを生み出す。
コイツ、父さんとデキてるな?
母さんと僕を日本にほったらかしにしておいて、自分は黒人の女とお楽しみかよっ
冗談じゃないっ!
僕は、こんな薄汚いヤツらと家族になるのかよっ!
ふざけるなっ!
思わず拳を握る。そんな瑠駆真の肩に、甘ったるい声。
「ねぇ〜?」
ボンヤリと振り返る先で、桃色の唇が愛らしく笑う。
「聞いてる?」
「あぁ ごめん」
「もぉ〜」
甘えるような声に、瑠駆真は心内で冷笑した。
中学時代の瑠駆真に、言い寄ってくる女子生徒などいなかった。
この子は、僕のどこまでを知っているというのだ? 僕の何を好んでいるというのだろう?
彼女たちの愛情に、真実味を感じることなどできない。
瑠駆真の見栄えにのみ魅かれる彼女らにも、跡取り息子を欲しがるだけの父親にも、父親の愛情を得るべく自分に接してくるメリエムの存在にも。
こんな上辺だけの愛情なんていらない。
ただ一人、美鶴だけが僕を見てくれればいい。
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